劣等感と優越感
以前はずいぶんそれに捕らわれ 振り回されていました
ここしばらく それらを感じることはあっても捕らわれることは無くなっていました
ここ大事です!(誰にいってるん~?)
感じることはあるんですよね 以前の私はそれを感じないようにしようとしていたんです
でも 人間だもの感じるんです
何らかの理由で 波動が上がっているとき 幸せ~な感じ
なんでもいいじゃ~ん となっているときは 同じことがおきても感じない
だけど まだまだそこと無意識の間をいったりきたりの私では感じますです はい
ただ 捕らわれなくなったんです
だけど いざどうして捕らわれなくなったのか? と聞かれると
はて?
で 今日劣等感を感じた時 意識をしてどうしているのか見てみました
無意識とまではいかないけれど こんな視点でみよう! という
工程を経なくても 捕らわれない方向にもって行っていたのだと思うけど
どうしていたっけな? と意識したら わかんなくなっちゃって 捕らわれちゃいました~(涙)
で、今日はどうしたか? というと
・・・これって 人それぞれなので 正解はない と思います
あくまで私バージョンということで
とりあえず ねたんでみました(お~い!)
だって~ 感じちゃってるんだものしょうがないじゃん!
で ねたんだ相手の不幸を望みました(ひどいっ!)
それっていい気分じゃないですよね? でもそれはねたんではいけないって思っていたから
ねたんでる自分じゃダメだって思っていたから 苦しくなっただけ
あぁただねたんでいたんだ って思うと
ねたんでいたことは よくも悪くもなかったと気がついて
そこまでいったら ゴールは目前(ゴールって・・・)
私はやっぱり その人が不幸になっても 自分が幸せじゃないから
ともに幸せを選ぶのです
本当に相手の不幸をこころから願っていると それはやっぱり何らかの形でかなう
と言うか それが魂の成長に必要な人が 合意のうえで
不幸を願われる状態に同意して そういう現実を起こすのだろうと
だとしたら もし それに同意しないで 心から幸せになることを決意した人がいるとしたら
共にはいられなくなるのかな と思った
やっぱり私はともに幸せな世界で生きたいな

久々登場のネタミン